Ahead by a century (by The Tragically Hip)歌詞の意味

 ドラマ『アンという名の少女』の最初に、「Ahead by a century」の冒頭部分が流れます。歌っているThe Tragically Hip(略称、the Hip)はカナダの国民的人気グループで、この歌が中でも一番のヒット曲だそうです。検索しましたが、日本ではそれほどヒットしなかったのか、しっくりくるものが見当たらず、文末にリンクをつけた記事も参考にして訳してみました。

 

***「Ahead by a century」***

 

あの頃は、まっさきに、二人で木にのぼって話をした

黙ってすわり、心のうちに耳をすます

二人がいだいていたのは未来への幻想

リハーサルのない人生にまっすぐに向き合っていた、それが生きることだから

 

そこで、あのスズメハチに刺された

熱に浮かされた夢を見た

復讐と疑念に包まれた夢だ

でも、今夜そんなものはみんな燻り出す

 

ああ、君は100年先を生きている

君は100年先を生きている

君は本当に100年先を生きている

 

今日も朝靄の中、くもった目のまま一日が始まる

あの頃は、僕がきみを覆う雲を払い、君は僕の手を取った

外は雨が降っている、夕べもずっと雨だった

リハーサルのない人生にまっすぐに向き合っていた、それが生きることだから

 

だがそのとき、あのスズメハチに刺された

深刻な夢に襲われる

復讐と疑念に包まれた夢だ

でも、今夜そんなものはみんな燻り出す

 

ああ、君は100年先を生きている

君は100年先を生きている

君は本当に100年先を生きている

 

ああ、君は100年先を生きている

君は100年先を生きている

君は本当に100年先を生きている

 

君を失望させて、僕はがっかりしている

 

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 自力だけでは難しいので、英文の解釈については、カナダ・クイーンズ大学のサイトに掲載されたロバート・モリソン教授(英文学)の記事を参照しました。

 モリソン氏によると、この歌にはカナダの政治や国民に対するメッセージが込められているそうです。それは、復讐や疑念に満ちた社会ではなく、子供のころ誰でもがあこがれていたものを思い出し、今の自分たちを見つめ直し、明るい未来を見ようよ、というメッセージとのこと。そんなことも頭に置きながら私なりに日本語にしてみました。the Hipや英語に詳しい方からアドバイスを頂けたら嬉しいと思っています。

 モリソン氏の記事のタイトルやリンク先です。

タイトル:「Ahead by a century: The Hip imagines a better future」(2017年8月17日)

https://www.queensu.ca/gazette/stories/ahead-century-hip-imagines-better-future

 ちなみに、この記事によると、2016年8月に演奏されたthe Hipのさよならコンサートで演奏されたのは「Ahead by a century」一曲。というのはボーカルのGord Downieが癌を患っていたからです。翌年53歳で亡くなりました。

 

 最後に「Ahead by a century」の英文歌詞のリンク先を載せておきます。

www.azlyrics.com

 

「運動・ボケ防止・英語の歌」 1石3丁の踏み台昇降

 何とか家の中で簡単に、楽しく、しかも短時間に運動ができないものか。コロナ禍で、こんな横着なことを考えていた。テレビ体操やストレッチは毎日欠かさないが、真冬になって散歩に出かけることがめっぽう減った。思いついたのが踏み台昇降

 でも、ただ「いち、に、さん、し」ではつまらない。そこで、英語の歌をかけて、歌いながら段差を上り下りすることにした。「Ahead by a century」(カナダのバンドThe Tragically Hip)と「Sound of Silence」(Simon & Garfunkel)で1セット。いずれも1曲約3分なので、朝昼2セットずつで、各々たったの6分と手軽だ。これでも足や呼吸に少しこたえる。運動しながら頭も使ってボケ防止にもなりそうだ。

 「Ahead by a century」は、Netflixで楽しんでいる『アンという名の少女』シリーズのテーマソング。このドラマは大人が見ても面白い。連日だと歌えないところがはっきりしてくる。the、with、andなどは、ほんの軽いか、まったく聞こえないことも多い。(後日談:2週間ほど続けていると省略されているように聞こえた歌詞も歌っていることがわかってきた。不思議な体験!) 『アンという名の少女』のせりふが少し聞こえるようになったと思うのは気のせいかな。

 運動とボケ防止と英語の歌の1石3丁になって、我ながら名案。

 ただ、英語の歌詞は難しい。その解釈はまた今度にしよう。

映画『英国王のスピーチ』が描く友情

 英国王・ジョージ五世の吃音(きつ)症の第二王子、後のジョージ六世と、平民の言語聴覚士ライオネル・ローグの友情を描く、史実に基づいた映画『英国王のスピーチ』を見た。

 王子の吃音症はひどく、人前で話すと緊張で話が中断するほどだった。何人もの医師の治療を受けたが改善せず、王子は諦めかける。だが、妻は一人でライオネルを訪ねた。

 ライオネルは、王子を愛称の「バーティ」と呼び、自身を「ライオネル」と呼ばせて、対等の関係にこだわる。戦地で戦後神経症に苦しむ元兵士を治療した経験から、吃音症は精神的なストレスが原因なので、対等な友人として寄り添ってこそ、初めて治療ができるという信念を持っていたからだ。基礎訓練を積み重ねるうち、僅かながらも望みが出てきた。王子はやがて幼少時の乳母の虐待などについて打ち明けるまでになり、二人の間に少しずつ友情が芽生えていく。

 王子の兄は、愛する女性が王室に受け入れられず、王位即位後、一年を待たずに退位してしまった。こうして慌ただしく国王に即位することになった王子は、戴冠式にライオネルを呼んで乗り切る。

 国王になってまもなく、全国民に対して、第二次世界大戦の宣戦布告と士気を奮い立たせるためのラジオスピーチを行うことになった。初めての本格的なスピーチだ。ライオネルは不安に駆られる国王を励まし、国王はみごとにやってのけた。放送室から宮殿のバルコニーに出て、待ち構える大衆に手を振る国王の姿。ライオネルはそれを満足げに見守る。

 国王即位直後、妻の前で「私は国王ではない」と泣くなど、国王といえども一人の弱い人間だと感じさせる場面が何度も出てきた。国王の妻が存命中は、治療記録の公開を拒んだというのもうなずける。しかし、ジョージ六世の英国への使命感は強い。その国王を支えるライオネルとの真摯な深い友情に心を打たれた。宣戦布告時のスピーチを終え、ライオネルが「とてもよかった」「でも〝W〞でつっかえたな」と言うと、国王は「わざとさ。私だとわかるように」とユーモアで返す場面もいい。英国の静かな気品が随所に描かれ、心地よい印象が残った。